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2008年 05月 21日
ガリンシャ(Garrincha)といわれる、本名(フルネーム)が、マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス-Manoel Francisco dos Santos、史上最高のドリブラーと、呼ばれていた選手がいました。 サッカーの神様ペレと並び、活躍した選手で、ガリンシャ(Garrincha)というニックネームを持つ、ポジションが、フォワードの選手。
彼が、ブラジル代表選手となり、初めてゴールをしたのが、1958年5月21日。 そして今年2008年の5月21日(今週の水曜日)は、彼の記念すべきブラジル代表選手として初ゴールを決めた、50周年の記念日だったのです。 同年の1958年、スウェーデンワールドカップでは、ブラジルチームが見事優勝を果たしました。 ブラジル選手代表として2度のワールドカップ制覇に貢献し、サッカーの神様ペレと並び賞された選手、ガリンシャ。 彼のニックネームは、山岳に生息する小鳥、ミソサザイを意味します。 日本語でのニックネームは、「悪魔の小鳥」だったようです。 19歳でボタフォゴの入団テストで、当時のブラジル代表選手をトリッキーなドリブルで攻める、テクニックが認められ、契約に成功。 以後、同クラブで一時代を築いたのです。 史上最高のドリブラー、との呼び声が高い「悪魔の小鳥」。 しかし、決して珍しいドリブルではなく、パターンはいつも同じでした。 相手選手もガリンシャがいつ何処で仕掛けてくるかはお見通しだったようですが、解っていても彼のドリブルを止めることができなかった事こそが最大の問題だったのです。 ガリンシャが一度ドリブルを始めると、止める事など、おおよそ不可能で、相手選手はただ、ピッチに転がり込むだけだった、とか。 貧しい家庭に産まれたガリンシャは、子供の頃にかかった病気の影響で左足が右足より3cmも短かったのです。 医者にかかるお金など、無かった為に一人の無名の若い医者が無料で手術を施した、と言われています。 しかし、ガリンシャはそんなハンディをもろともしない程のドリブルの天才でした。 その足から驚異的なドリブルテクニックを生み出したのです。 左へ行くと見せかけて右へ抜けるという単純なフェイントに、ディフェンダーは翻弄(ほんろう)されてしまうのです。 ボールにまったく触れず、体を動かすだけで相手の体勢を狂わす技。 ブラジルのサッカーチーム、ボダフォゴに入団後、ブラジル代表にも選ばれたガリンシャは1958年、ペレと共に世界を驚かせました。 当時、世界的に注目されたのはペレだったが、ガリンシャをペレ以上に評価した選手も沢山いたようです。 偉大なサッカー選手であったにも拘らずその後、アルコールに溺れた彼は、アルコールの瓶を抱えたまま、1983年1月20日に49年の短い生涯を終えます。 まさに伝説のドリブラーとして、今でもその人気を保持しています。「ペレより凄かった」、「至上最高のドリブラー」、プレーにおいても私生活においてもガリンシャのまわりには伝説の選手にふさわしい様々な逸話が満ち溢れているとか。 おめでとう、ガリンシャ! いつまでもサッカー選手に夢と希望を与え続けてくださいね。
by macobrasil
| 2008-05-21 10:30
| リオ・デ・ジャネイロ日記
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